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「おにぎり参観日」という残酷
まさか
そんな
おそらく発案者の頭の中では、そこまで思いが至らなかったのだろう
「おにぎり」なら華美でない
忙しい保護者も、「おにぎり」だと苦にならない
手軽に誰でも楽しめる
そこまではよい
しかし、実際には、一つの「おにぎり」でさえ、つらい思い、悲しい思いをする者が少なからずいる
果たして、そこまで、発案者や賛同者は配慮していたのであろうか
長男が小学生の時
「おにぎり」参観日
皆、家から「おにぎり」を持参し楽しそうに頬張っていた
ところが、体育館の片隅に、一人でポツンと座っている生徒がいた
家庭の事情か、彼は、「おにぎり」を持参していなかった
とても寂しそうだった
思わず「おにぎり」差し出そうとした、その瞬間、気を利かせたご婦人が「おにぎり」を彼に温かく手渡し、自分の子らの輪の中に招き入れた
彼の気持ちは少しは和らいだかもしれないが、それは、ほんの僅か
心の深い部分に影を残したのではないだろうか
プライバシーだ
人権だ
あれこれ問題として取り上げる割に、あるものの存在を忘れている
そのようなことは、社会一般、どこにでもある
それに気づくことができるか、できないか
気づくことができない輩が、いくら見せかけの策を練ろうとも、それらは一向に問題解決にはつながらない
むしろ、余計に、気づかれていない者を傷つけることになるかもしれない
「おにぎり」参観日で何を学ぶ、そして、何を教える
周囲の迷惑、電車に乗れずに困っている大人、そして自分たちと同じ学校の生徒に配慮できず、微動だにしない、通勤通学時の小中学生を憂いて