公益社団法人 鹿児島県薬剤師会

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道修町は、かつて厚労省的役割を果たしていた

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<ちょっと一息>

大阪道修町

かつては、和漢薬問屋で栄えた町

江戸時代、道修町は厚生労働省的役割を果たしていた

薬種中買仲間を形成し、いち早く生薬の品質等の自主規格(薬種御改指上申一礼控帳)を定め、それを厳格に守り商売をすることで信用を得ていた 

ルールを破ったものは、即、薬種中買仲間から追い出されてしまい商いができなくなる

そんな厳しい『商倫理』を自らに課していた

「仲間外れ」

その語源は、道修町にある

疫病*1、西洋医学の導入、戦争、様々な出来事を乗り越え、現在の日本の製薬企業の礎を築いてきた

道修町のはずれにある小西家を除き、往時の姿は留めていないものの

現在も、日本の名だたる製薬メーカーの本社等が立ち並ぶ

その一角に少彦名命、薬祖神農神が祀られた神社、少彦名神社がある

そこでは、大阪の『とめ祭り』である神農祭が毎年賑やかに催され

道修町に構える製薬メーカーもこぞって訪れる

そんな会社の一つが田辺三菱製薬

創業340年ほどで、メルクに次いで世界で2番目に古い製薬会社

武田なども含め、社会貢献の一環として資料館をそれぞれに設け、道修町ミュージアムストリートとして一般に公開されている

それぞれの資料館ごとに特色があり、道修町の歴史、日本の製薬会社の歴史などを楽しく学ぶことができる

6月8日-10日に大阪で開催された東洋医学会のオプショナルツアーは道修町散策

学会会場で講演を聴いているだけでは、足がなまってしまうので、ツアーに申し込み、道修町を散策してきた

ツアーには、「薬の道修町資料館」館長による講演、各社の資料館学芸員による解説等があり、個人で探索するよりも、掘り下げて道修町を楽しむことができた

ちなみに、鳥井信治郎(サントリー創業者)は、小西家で鍛えられたらしい

 

*1 梅田は、墓場だった・・・江戸時代疫病で大阪は4000人を超える死者がでた。その遺体が葬られたのがおそらく梅田・・・

大阪駅前に200人分の骨 江戸時代の墓地、初調査 うめきた再開発地区

https://mainichi.jp/articles/20180224/ddl/k36/040/549000c

 

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* 大阪街歩き 道修町ミュージアムストリート

http://www.sinnosan.jp/doshomati.pdf

* 少彦名神社

http://www.sinnosan.jp/

神農さんのマスコットはなぜ、虎か・・・疫病(コレラ)の流行時に、虎頭殺鬼雄黄圓(虎頭骨、雄黄、雌黄、白朮等)が、効いたとのことで、虎がマスコットになったらしい。

* くすりの道修町資料館

http://www.sinnosan.jp/dosyoumathi-index.html

張り子の虎と虎頭殺鬼雄黄圓(レプリカ)。虎頭殺鬼雄黄圓一粒が屋根裏に残っていたらしいが、成分分析等はできていないとのこと。

薬種御改指上申一礼控帳の説明をする館長。

薬種御改指上申一礼控帳            同行した学会参加者

看板の類は、以前、情報センターの掲示板で紹介した立川の先生から借り受けているとのこと

日薬大会(東京)で面白かったもの その1 (旧県薬ホームページ:http://www.kayaku.jp/member/topics/html/art/02039.html 要旧ホームページID、PW)

藤沢製薬は、かつて樟脳で大もうけしたとのこと。樟脳を伐採し過ぎたため、その罪滅ぼし?で全国に楠を植樹したとか・・・

藤沢樟脳と書かれた鍾馗(しょうき)様(藤沢樟脳のトレードマークが鍾馗様だった)

藤沢本社にあったもの

* 杏雨書屋(武田化学振興財団)

http://www.takeda-sci.or.jp/business/kyou.html

昔、中国に診察代の代わりに杏の種で、診療を施していた医師あり

その種から立派な杏林ができたとか

転じて、医学会のことを杏林という

武田薬品が収集してきた貴重な医学関連資料を一般公開している

普段は、一般公開資料室のみ公開されているが、東洋医学会の開催に合わせて特別展示室も公開されていた

特別展示室には、「病草紙の模本」が展示されており、楽しむことができた

また、ターヘルアナトミア、解体新書、解體約圖(解体新書を販売する前に出された予告広告)が揃って展示してあった

解體約圖:http://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/anatomia/s-ka-9-19 (慶応大学)

解体新書:http://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/anatomia (慶応大学)

病草紙(やまいのそうし):http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/emaki/item04.html (京都国立博物館)

 

* 田辺三菱製薬資料館

http://www.mtpc-shiryokan.jp/

3年ほど前に建てられた新社屋         

災害時には、帰宅困難者等に対応できるように軒下が大きくとってある

  1Fロビーもおそらく解放されるのでは・・・

かつて工場で使用されていた基準天秤

中央にある大きな天秤相当を個人的にオークションで購入しようとしたが、大き過ぎて玄関におさまりそうもないので、泣く泣く断念したこともある・・・

田辺三菱製薬の社史と未来

* 大日本住友製薬資料展示ギャラリー

http://www.ds-pharma.co.jp/release/2014/20140325-2.html

外から展示物を眺めるだけ

西洋薬の国内供給を目的として、長井長義を中心として大日本製薬が設立

その後、そこから武田製薬などがバディングした

大日本住友製薬のルーツ Part1/Part2: http://www.ds-pharma.co.jp/profile/profile/

* 小西家

https://osaka-info.jp/page/old-konishikike-jutaku

現在のコニシボンド

道修町に残る唯一の明治期の建物

 

* 戎橋 

http://www.ebisubashi.or.jp/

折角、大阪まで来たので戎橋界隈へ

かに道楽するほどの懐具合でもないので、大阪粉もの、お好み焼を1枚

グリコの看板は、省エネのためか、日没後30分から点灯

以前、宗右衛門町にあった、知り合いの「とうさん」の割烹懐石店は、どこへやら・・・