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一生に一度合格すればよい大学受験資格試験にしてしまえばよいのに
私が受験する、確か2年前から共通一次試験が始まった。
私の頃は、国公立は前期後期中期の区別がなく、一本勝負。
一度入試に失敗すると、翌年もまた共通一次から受験しなければならなかった。
そうとは知りつつ、ろくに受験勉強(共通一次対策)もしていなかったので、とんでもなく酷い結果だった。
それでも、2次試験は得意科目だったこともあり、よほど挽回したのか、運よく大学に合格できた(引っかかった)。
大学に入ってから同級生らの話を聞いていると皆信じられないくらいの高得点を取っていた。
それから判断するに、おそらく共通一次の点数は合格者の内最下位だったに違いない。
入ってしまえば、こっちの物。
共通一次試験が誕生したことで、受験産業が急成長した。
そして、点数による大学の階層化が一層進み、おかしな状況が生じてしまった。
共通一次試験も、そのうちセンター試験となり、国公立も前期後期中期と受験機会が増えた。
私立大学もセンター利用するところも出てきた。
にもかかわらず、予備校にやる経済的余裕はないからと、息子らには一本勝負で臨ませた(背水の陣)。
さて、今回、センター試験廃止、新たな入試制度「大学入学共通テスト」が始まる。
その目玉が、英語の民間試験利用と記述式解答。
英語の外部試験・・・何ですかそれ?
数学と国語の記述式・・・何十万という、とんでもない数をどうやって採点するの?
某私立総合大学薬学部に勤務していたころ、経済学部(1万人が受験)や医学部の試験監督や記述試験の採点にあたったことがある。
1万人も受験するにもかかわらず、合否判定は翌日(だったか)。
一度、週刊誌に神業、どうやって採点しているのか、信じられないと大々的に掲載されたことがある。
医学部の記述式採点の例になるが、優秀な若手スタッフ(多くが博士、おまけにその大半が事務処理能力に秀でた才能を持つ人が多い某大学出身者。入試問題をすらすらと解いて模範解答が誤っていることを見つけるくらいの強者も。)が猛スピードで採点し、事務職員が目にもとまらぬ電卓捌きで集計。
当然、トリプルチェックも実施。
経済学部の入試でもほぼそれと同じであったはずで、週刊誌が期待しているような神業の事実はなく、正真正銘、超高速人海戦術が見えないところで繰り広げられていたことになる。
そのことを思えば、「大学入学共通テスト」の記述問題の採点、よほど優秀なスタッフを、あるいは、超高度判断基準を搭載したAIが新たな試験に向け導入されるかと思いきや・・・
外部委託・・・それもアルバイト・・・なんだそれ。
一部の受験産業をまた太らすのか。
おまけに、ここにきて、英語の民間試験利用中止。
数学と国語の記述式中止。
全く、受験生をないがしろにしている。
いい加減にしろと多くの受験生を持つ親たちも怒りを募らせているかもしれない。
「大学入学共通テスト」に移行した背景には、「先行きが予想しづらいこれからの社会では、知識の量だけでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力が重要になる」との考えがある。
しかし、大学入試に記述式を導入しようが、目指すような能力は、それだけでは身につかない。
生まれてからどのような生活や教育環境であったか、人と変った意見を持った子供をはみ出し者としない潰さない社会環境が整っていたか、色々な要因が必須となる。
ところで、今回の直前での実施方法変更、それこそ、「先行きが予想しづらいこれからの社会」の具現化、それに受験生が如何様に対応するか、そういった意味では文科省の目論も通り・・・
いっそのこと、高校卒業要件を大学受験資格試験に合格することとすればよい。
一生に一度パスしていれば、いつ何時でも好きな時に好きな大学を受験できるようにしたほうが、すっきしるすし、多様性も生まれ、新しい価値が生み出される可能性も増す。
とは言え、実のところ、しっかり勉強していれば、制度がどのように変わろうとも、関係ないのですが・・・